2010年三愛水着ファッションショー

おはようございま~す さ、一日がはじまりました きょうの朝食は出来立てのご飯と、目玉焼きとお味噌汁
最高ですよ、やっぱり。

今日は7分で食べ終わり、9時ジャストにアパートを出発しました。

いつもとは違うファミマに寄り道して、コカ・コーラを買いました(^^)

いつものルーチンですので^^。

会社に行くと、日課のライブドアニュースを確認してみると
トップニュースは・・・
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 ■音楽史作った偉大な功績  先月25日に肺炎のため94歳で亡くなった歌手、バタヤンこと田端義夫さんのドキュメンタリー映画「オース!バタヤン」が6月1日、大阪・テアトル梅田で公開される。平成18年に大阪・鶴橋で行われたライブを軸に、戦前から戦後を駆け抜けた歌手と時代を追う。田村孟太雲(もうたうん)監督は「日本の音楽のポピュラー史を作った田端さんの偉大さを知ってもらえれば」と話している。(橋本奈実)  ◆“ラストチャンス”  田端さんを「ビートルズが出るずっと前、戦前からエレキギターを持った人」と評し、長年、田端さんの軌跡の映画化を考えてきた。田端さんが90歳を前にしたときを“ラストチャンス”と考え、平成17年から3年間、追い続けた。  大阪・鶴橋でのライブはこの映画のために企画。鶴橋は、三重県松阪市で生まれた彼が貧しい幼少期を過ごした第2の故郷。大阪市立鶴橋小学校体育館で当時、87歳の田端さんは「梅と兵隊」「かえり船」などを披露。司会の浜村淳さんとの絶妙な掛け合いが映し出されている。  田村監督は「浜村さんが田端さんの歴史を語りますが、あれ以上に優れたものはない」。編集時に手を加えてみたが、そのままが最善と考えた。「関西の2大スターの共演を軸にしようと。浜村さんの記録映像でもある」  ◆くさらず練習継続  その浜村さんが田端さんを初めてみたのは、昭和21年の京都・新京極でのショー。気さくで庶民的。時を経て自身が司会を務めたときも、印象は変わらなかった。浜村さんにとって約45年にわたる田端さんとの仕事はいつも、ぶっつけ本番。田端さんは浜村さんに曲順だけを渡し、「あとは好きにやってくれてええで」といつも言っていたという。  田端さんは、人気が低迷してもくさらず、毎日ボイストレーニングを継続。情報のアンテナを張り、常に自分に合う楽曲を探した人だった。浜村さんは「バタヤンを見ていると、もう一度立ち上がろうやないかという気持ちになる。芸は人となりですわ」と語る。  ◆「やっと歌が歌える」  監督は体調を崩した田端さんを追えず、彼を語る証言映像を撮影。最後に再び田端さんのインタビューを撮って完成と決め、退院を待ったが、それよりも完成作を見せようと方針を変えた。  サービス精神旺盛な田端さんとの会話の大半は下ネタだった。が、編集作業中に、20年の名古屋での“最後のインタビュー”で「やっとこの年齢で、本当に歌が歌える」という言葉を見つけ、映画を撮り終えることができると思った。  昨年末、完成したDVDを田端さんの家族に渡した。病室のパソコンで少しずつ作品を見た田端さん。見終わった今年2月、「お父さん、格好いいだろう」と愛娘に自慢したという。  今作には、もう一つのテーマとして戦争がある。監督は、陽気な彼が、唯一引きずっているのが戦争と感じた。田村監督は「病気で戦争に行かなかったこと、生き残ったことをどう気持ちの整理をするかが歌うモチベーションになっている。それが少しでも彼の歌と人となりから、伝われば」と話した。 (この記事は産経新聞から引用させて頂きました)

これマジ?
まったくもって関心無し

はい、では今日の本題。えっと、予約表を見てみると
だんどりが上手くいけば何も売らないアフィリエイトに7時間と、電脳せどりで仕入れに時間。

かなりハードだけど簡単に終わるでしょう。

ガンガン稼がねば!

稼ぐ系動画と言えば
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あらら(~_~;)全く関係無い?
いや、まあ、たしかに。。。(笑)

さーて今日の夕飯は何しよ?
鶏の唐揚か海老炒飯が食べたいよ~!(^^)!

恐らく次回の記事アップは明後日になるかも・・・
カミングsoon! 骨盤ベルト

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